yumeututu

    力をも入れずして天地を動かし男女のなかをもやはらげうるは、言の葉なり

すみません、という感謝の言葉

言葉を選ぶ 

 

魚屋A「今日はいいアジがいるよ。なんたって、いま死んだばっかりだもの」

魚屋B「今日はいいアジがいるよ。さっきまで そこの海を泳いでたヤツだよ」

 

さて、魚屋A・魚屋B どちらのアジをお求めになりますか? 

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アジが新鮮らしいことは どちらの表現でもわかります。

でも、アジが料理になって食卓に上り、箸でつまんで口へ運ぶまで

豊かなイメージを伴って響いてくるのは、魚屋Bの表現でしょう。

言葉は単に音の羅列ではなくイメージを伴っています。

同じことを伝えられるなら、印象の良い言葉を選びたいものです。

 

また、こんなケースはどうでしょうか。

社員A「恐れ入ります。 お客様、エクセルはお出来になりますか?」

社員B「恐れ入ります。 お客様、エクセルはお使いになりますか?」

どちらも丁寧さに変わりはありません。

けれども、「出来る出来ない」のように能力を計る表現失礼に当たりますし、

相手の自尊心を傷つけかねません

Bの方が好印象です。

 

と、こうした考え方の延長線上に、

「すみません」をお礼の場面で使わない方がいいという意見があります。

「すみません」は謝罪の言葉でネガティブなイメージだから。

また、相手のせっかくの好意を受け取っていないように聞こえて失礼だから、

というのですが、どうでしょうか?

 

なぜ親切を受けて詫びるのか?

 

もともと詫びの言葉であったものが、感謝の意味でも使われるようになり、

2つの意味を持つ言葉として生き続ける現象は、日本語の大きな特徴といわれます。

例を挙げると、

中世では「慮外」

近世になって「はばかり」

幕末から明治の初期にかけては「すみません」「恐れ入ります」の語が、

それぞれ感謝と謝罪 両方の意味で用いられてきました。

他にも、慣用度は下がるものの「申し訳ありません」「ごめんなさい」「わるい」も

感謝と謝罪 両方の意味で使われています。*1

 

なぜ日本人は、

親切を受けたときに単純に感謝するのでは足りず、相手の迷惑を想像して詫びるのでしょうか?

民俗学者・柳田國男の考察はこうです。*2

「すみません」の語源はおそらく「澄む」であろう。

「澄む」とは、気が澄む、心が澄むという使い方をし、「安らかで動揺がないこと」を意味しただろうと考える。

最初の感覚としては、「あなたにこのようなことをしていただいては、私の心が安らかではありません」ということだろう。

結局のところ、「すみません」には、「恩を返す決着を済ませていない」という意味と、「恩を受けたことで心の負担を感じる」という意味とがある。

恩返しをするとか、罪償いをするとかいった締めくくりができていないことを示していると思われる。

日本文化の真相に安心したい気持ちがあり、日常生活においても、安心をもたらす締め構造が重要な役割を果たしているように思われる。

言語の構造にも、そのような心理的特徴が反映されていると仮定することができる。

柳田國男『定本柳田國男集』「毎日の言葉」より>

このように、お礼や謝罪といった日常生活に根ざした言語行動には、その社会や文化を背景とした考え方が大きく影響しているものです。

言葉のイメージやビジネスマナーの考え方を基準にその言語行動を変えようとしても、なかなか改まるものではありません。

私自身も、相手の負担の上に利益を得たときは「すみません」を言わないではいられない。

ですから、「すみません、ありがとうございます」と、はっきり感謝の表情で伝えています。

 

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表情と声のトーンで感謝を伝える 

 

アメリカUCLA大学の心理学者アルバート・メラビアンは、表情と言葉とで矛盾したメッセージを発したとき、人はどのように受け止めるかを実験しました。例えば、

 怒った表情 + 泣き声で、「嬉しいです」と言う

 嫌悪の表情 + 笑い声で、「愛している」と言う といった具合です。

そうしたときに、受け手はどの情報を信じるかを見たのです。

結果は次のようになりました。

表情・動作に現われた感情を信頼すると判断した人   ・・55%

話し方・声のトーンが真実を伝えていると判断した人・・38%

表情や声色がどうだろうと、言葉が真実と判断した人  ・・7%

それならば、

喜びの表情オープンな動作明るい声のトーン十分な声量

「すみません、ありがとうございます」と言えば、きちんと感謝の気持ちが伝わるはずです。

 

受けた恩に報いないでは気が済まない、という日本人の精神性は美点ではないでしょうか?

無理に「すみません」を引っ込めるより、表情や身振りを豊かにすることを意識した方がコミュニケーションの質は高まると感じます。

非言語の情報は、言葉以上の伝達力を持っているのですから。

 

 

あとがき

先日、コミュニケーション研修の会場でこんな質問を受けたました。

お客様にお礼を言うとき「すみません」と言わないよう指導を受けました。ビジネスマナー講師の言うことには、お礼の場面で謝る国は日本以外になく、不思議な習慣である。お礼はポジティブに「ありがとう」と言うべきだということです。しかし、私はお礼の場面で「すみません」と反射的に言ってしまう。言わないでは落ち着かないのです。どうしたものでしょうか?

印象に残る質問だったので、そのときの回答(私見ですが)をまとめてみました。 

*1:西村啓子1981「感謝と謝罪の言葉における「すみません」の位置

*2:柳田の他にも、言語学者の金田一春彦、米国の文化人類学者Benedictらが、「すまない」を多用する日本人の心理を「義理と報恩」に関連づけて考察しています。